また1からこつこつと

最高はひとつじゃないと信じてまたがんばります。

高校生が教える意義 〜内なる心に火を付けろ〜

僕は地元でCoderDojo Kashiwaというプログラミング道場を小・中学生を対象に開催している。高校生団体といえば国際交流だとか、ボランティアだとかいろいろあるなか、人になにかを教えることをやっているところは少ないらしく、とても珍しがられる。しかも教えていることがプログラミングなのでなおさらだ。

そんな中でよく聞かれるのが、「なんで高校生が小・中学生にプログラミングを教えるのですか?」という質問。まあほんとによくある。いままでの僕はずっと「教える側と教わる側の年齢が低いから、教えやすかったり質問しやすかったりする。そういう環境を作りたいと思ったから」みたいなことを言ってた。

こう言ってはなんだけど、この答えは僕の中でなにか釈然としないものだった。(いままで聞いてくれた皆さん、すみません...)もちろんこれも大事な要素なのは間違いないのだけれども、今ひとつぱっとしない。質問しやすい環境は別にも作れるだろうしね。

もやもやしたまま何ヶ月も過ぎていったのだが、今日、ふと思ったことがある。というか多分これが答えだっていうのがでた。

 

CoderDojoに来ている子たちっていうのは、プログラミングを学びに来てる。みんなゲーム作るのが好きだったり、プログラミングすることが好きだったりするんだと思う。でも、どんなに熱中していたってモチベーションを保ち続けることって大変だと思うんだ。めちゃくちゃサッカー好きな子でも今日はあんま乗り気にならないなぁって子もいるでしょ。それと同じ。

少しでもモチベーションをあげてあげるには、僕ら高校生がプログラミングを学んでいる姿を見せるっていうのが有効なのではないのだろうか。

子どもたちにはこう思って欲しい。「なんで3,4歳くらいしか離れていないのにOnlineDojo(CoderDojo Kashiwaで使っている僕が作ったオンライン学習サービス)作れるんだろう」とか、「なんでiPhoneのアプリ作れてるんだろう?」とか。

その姿に少しでもかっこいい!とか、ああなりたい!って思ってくれる子がいたらこちらとしては万々歳なわけですよ。

「ああいうものを作りたかったらこれくらい勉強したんだぜ!」って見せつけたいよね笑

憧れの存在がいるかいないかってすごく大きな差だと思う。さらに言うと、その存在が身近にいるかいないかっていうのも大きいのだと思う。そういう意味では、僕は今最高の場所にいる。

 

僕は今NoblesseObligeというコワーキングスペースに入り浸ってる。コワーキングスペースは大人が仕事をする場所。高校生がふらふらと入り浸っていいものではない。(僕はふらふらしているわけではないが)でもそういった環境(大人の集団)に放り込まれるのも悪くない。というかむしろいい。やっぱり大人ってすごいんだよな。改めてそう思う。そして、NOBには運良く、憧れられる人たちがいる。

 

NOBでは大人の方々が僕の憧れであるように、CoderDojo Kashiwaでは僕らが彼らの憧れにならなければならない。これが高校生が子どもたちに教える意味なのだと思った。

ということで、高校生の皆さん、プログラミングやりましょうw